登戸研究所 旧日本陸軍の秘密作戦
ネット川崎ブロックの平和プロジェクトで、多摩区にある明治大学生田キャンパス内、明治大学平和教育登戸研究所資料館を訪れました。
登戸研究所は、1937年に、陸軍科学研究所登戸実験場として開設されました。日中戦争が泥沼化すると、水面下で中国や、欧米諸国への秘密戦、すなわちスパイ活動・謀略工作
・偽札などを強化していきます。陸軍省から巨額の試験提供を受け、参謀本部直属の秘密船を立てる研究機関でした。陸軍から期待され、当時の最先端技術と人員を集めていたといわれています。
技術の一つに風船爆弾があります。和紙をこんにゃくののりで張り合わせた気球に水素ガスを注入し、太平洋を偏西風に載せて飛行させ、気球につった爆弾をアメリカへ運ぶというものです。9000発放球され、ついたのは1000発、アメリカオレゴン州に到着しわずか6人の死者が出たという記録があります。そのほか、生物兵器、毒物の研究がされ、七三一部隊とも関連があったといわれています。中国人捕虜を使った人体実験や、家畜、食糧の壊滅を狙った細菌・ウィルスの実験もされていました。
秘密中の秘密として、通貨謀略として偽札製造を行い、中国経済を混乱に陥れる作戦をたて、40億元を作成、25億元を使用したという事実があります。
終戦を迎えると、米軍に資料を渡す代わりに研究所所員たちは、免責されます。当時の全体像を知る伴繁雄さんに、法制二校の高校生が調査活動のなかで、聞き取りにいったことから、重い口を開き、当時のことを語り始めたとのことです。
明治大学では、戦争という目的のためには、尋常な理性を人間性を喪失してしまいかねない機能を持ってしまうことを自戒するため戦争遺跡としての登戸研究所を、平和教育の発信地とするとしています。川崎にすむ市民として、登戸研究所の存在意義を語りついで行きます。