原爆の図丸木美術館を訪ねて

2018130日 原爆の図丸木美術館を訪ねました。渋谷から副都心線で東松山まで約60分、市内循環バスで徒歩で12分、比企丘陵にあり、都幾川を見下ろす自然豊かな地にたたずんでいます。

1967年に開館された原爆の図丸木美術館を、丸木位里、俊夫妻がどのような思いで開設されたか、所蔵されている絵画をどのような思いで描かれたか、原画を見学し、現在の世界平和に、原爆被爆国日本がどのように貢献できるか、丸木夫妻の活動から考えてみます。

バスで、美術館でボランティアをされている方と同乗し、美術館までの道を案内していただき、丸木夫妻が、郷里広島の風景に似ていることから、ここ東松山の地を選んで開館されたことなどを伺いました。

丸木位里氏は1901年広島生まれ。抽象画、シュルレアリスムを取り入れた水墨画などを発表、1945年広島に原爆が落とされた数日後、妻の俊さんと共同制作で、原爆の図の政策に取り組み、30年以上の歳月をかけ、15部の連絡を完成。1995年に94歳で永眠されました。妻の俊さんは洋画家。夫との原爆の図共同制作のほか、「ひろしまのピカ」などの絵本を残され、200087歳で永眠されました。

丸木美術館から都幾川を臨む

原爆の図丸木美術館

美術館は2階の展示室に、畳一畳もの絵が8枚、屏風状に壁に掲げられています。第1部「幽霊」から、「火」「水」「虹」「少年少女」「原子野」・・・と続き、8部の作品は、原爆で焼けだれた身体をひきずりながら逃げ惑う人々、水を求め重なり合って川辺に山となる死体など、原爆投下後1か月広島に滞在して目に焼き付けられたありのままが描かれています。それぞれにつけられた文章も、読む人の心をつかみます。夫妻は、広島の原爆のみならず、「第5福竜丸の水爆実験」、加害者としての側面から、「米兵捕虜の虐殺事件」「朝鮮人の被爆問題」「アウシュビッツ」「水俣」など、様々な問題について描かれ、世界中に巡回展を開いて多くの人々の共感を得ています。1995年にはノーベル平和賞の候補にも推薦されました。

原爆の図の丸木夫妻の取り組みは、「原爆の図を描き続けることで、原爆を知る人と知らない人との間にある記憶の溝をうめることができるのではないか。未来の子どもたちへ原爆や戦争への想像力を拡げてもらいたいと願った。」ということに尽きるのではないでしょうか。私たちも、次世代に禍根を残すことのないよう、現実を見つめ、知り、伝えることが大切と丸木美術館を訪れ再認識しました。